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昨年の11月30日は秋篠宮殿下のお誕生日でしたが、それ以降も愛子さま、雅子さまと皇族の方々のお誕生日が続きました。 そうした中、 秋篠宮殿下のお誕生日会見には批判の声が殺到する一方で、愛子さまや雅子さまには称賛の声が相次ぐ結果となっています。さらに、雅子さまがお誕生日に伴い発表された。感想文書には、ある重大なメッセージが隠されていたようなのですが・・・。いったいどういうことなのでしょうか。

今回はそちらについて書かれた記事を見つけましたので、紹介と詳しい解説をしていきます。 まず1つ目は、雅子さまに関する話題をお届けします。 ここからは一部引用を含みます。さて、昨年9月8日にエリザベス女王の訃報がありましたが、 この当時、陛下は訃報を聞いた瞬間からご夫妻で参列する意向を強く持たれていたようです。内情に詳しい宮内庁職員は、次のように述べています。 「もともと皇室と英国王室の親交は深いものがあり、 昭和天皇、 平成の天皇から陛下へと三代に渡って受け継がれてきました。

しかしながら、 天皇が外国の王室や元首の葬儀に参列するのは、皇室の慣例からするとまさに異例のことといえます。実際のところ、天皇陛下の即位後初の外国訪問は英国になる予定でした。 エリザベス女王の招待を受け、皇后雅子さまと訪問することになっていましたが、 新型感染症の感染拡大で延期せざるを得ない状況に。 そうした事情もあり、陛下の葬儀参列のご意思は堅かったのです。 しかし、雅子さまのご体調にはまだ一抹の不安がありました。回復傾向であっても、 海外訪問までできるかは定かではない。

当初、葬儀への「出席は陛下お一人と発表されており、雅子さまは予定が近くなった時の定例会見でご同行されるか否かを発表するというスタンスでした。 エリザベス女王の葬儀は9月19日。一番の問題は、英国出発までに体調を整えられる時間が少ないことです。雅子さまのご病気は、ご自身でお気持ちの準備をする必要がある。 体調によって、は長くかかることもあるため、まさに予断を許さない状況だったわけです』以上が1つ目の記事の内容です。

  • 雅子さまはもともと優れたキャリアウーマンでしたし、何事も努力と生真面目さで学問や仕事を優秀だったお方です。

皇室に入られて未来の皇后陛下としての軋轢に、 お子様誕生を含めて様々な事に真摯過ぎる使命感故に、お心を痛めてこられたことでしょう。 幾多の困難を乗り越え、陛下の愛情と愛子様の存在に支えられて、 今では世界に誇る知的で品格のある皇后陛下になられました。 これからも末永くご活躍して頂きたいですね。では2つ目の記事に移ります。

さて、 昨年の11月30日は秋篠宮殿下のお誕生日でしたが、 それ以降も愛子さま、雅子さまと皇族の方々のお誕生日が続きました。そうした中、雅子さまがお誕生日に伴い発表された感想文書には、ある重大なメッセージが隠されていたとして、内情に詳しい宮内庁職員は次のように述べています。「雅子さまは今年の秋から、直接足を運ばれる形で地方でのご公務を再開されており、皇居の外へお出かけされる回数も増えています。 しかしその一方で。国民からは見えないところでも奮闘されているのです。

実際のところ、都内や地方で国民と交流されたり、 海外からの賓客をもてなすような行事では、雅子さまは元気そうなご様子に見えます。 しかし、そうしたお姿に見えるようタイミングを合わせるため、 毎回体調を整えられておられるのです。 国民には伝わりにくいところですが、 毎回大変な努力を重ねられていると理解していますよ。

2004年に適応障害と診断されて以降、雅子さまはご実家の小和田家が所有する軽井沢の別荘1カ月ほどお過ごしになりました。 その後東宮御所に戻られる際の雅子さまの沈んだ表情は、いまも忘れられません。 実際にかなりお辛い状況だったようで、お部屋にこもりきりで側近との会話もなく、お願いしたいことがあるとドアの下にメモを挟まれてお伝えになっていた時期もあったと聞いています。

そんな苦痛に満ちた日々の中で、 天皇陛下の献身的なお支えやすくすくと育たれる愛子さま、温かい声援を送る国民の存在は、雅子さまの心のよりどころとなっていたのでしょうそうした経緯もあって、 今年のお誕生日文書の情報量は、昨年と比べてもかない反映されているのでしょう。また、天皇陛下も雅子さまも、若い世代とお話しになるときは、 「愛子も』 というフレーズをよく使われています。 両陛下は、愛子さまを増えていましたよ。

By TAKERU

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