今回は『三笠宮妃百合子さまが 上皇様に放った一言に一同驚愕!
今の皇室はあまりにも…』 という内容でお届けいたします。
現在、様々な問題を 抱えている現在の皇室。
眞子さまの ご結婚問題などについては、他の皇族方は気を もんでおられるようですが、三笠宮妃百合子さまも そのお一人のようです。
これまで三笠宮家で起きてきた様々な ことを経験されてこられた百合子さま。
そんな百合子さまが批判的な 発言を上皇様に対して語ったことが話題になっています。
一体どういうことなのか、 見てみましょう。
あわせて、三笠宮家の確執なども 一緒にお伝えしていきます。
以下本文
昨年11月8日、上皇さまの天皇退位に 伴う一連の行事の最終儀式である「立皇嗣の礼」が行われました。
これは、秋篠宮さまが皇位継承 順位1位の「皇嗣」となられたことを天皇陛下が内外に 示される重要な儀式で、退位された上皇ご夫妻を除き、すべての成年皇族が 参列することが基本でしたが、残念ながら三笠宮妃百合子さまの で出席は叶いませんでした。
百合子さまは当時97歳。
皇室最高齢であり、 コロナの感染リスクも高く、車椅子での所作や装束などの 負担もおありなのでしょう。
一昨年の「即位の礼」に 引き続きのご欠席となりました。
また、百合子さまは -9月に肺炎を患い、都内の病院に入院されていまし たが、その後心不全と診断され、投薬治療を受けながら、 リハビリに取り組まれておりました。
10月に入り、体調も落ち着き 無事に退院されましたが、まだ万全ではなかった ということでしょう。
2007年には大腸癌が見つかり、 摘出手術も受けられています。
百合子さまは、 華族の令嬢として生まれ育ち、1941年10月に昭和天皇の 末弟で、上皇陛下の伯父にあたる三笠宮崇仁さまと「納采の儀」を 経てで結婚されました。
1944年に第一女子・齋子内親王が お生まれになり、次いで寛仁さま、宜仁さま、容子さま、憲仁さまが 誕生し、5人の子宝に恵まれました。
崇仁さまとのご結婚後は、 皇室内で皇室会議の予備議員や母子愛育会総裁などを務められ、歴史学者としてもご活躍だった崇仁さまの勉学の手助けなどもしながらお子様方をお育てになりました。
ご結婚満70年に際して崇仁さまが百合子さまに贈られた 感謝のお言葉は印象的でした。
2016年に崇仁さまが崩御され、その後は百合子さまが三笠宮家の 当主となられましたが、その日々は順風満帆とは言えな かったようで、長男寛仁さま一家の「親子対立」は、いまだに くすぶり続けています。
「ヒゲの殿下」の愛称や型破りな 言動で親しまれた寛仁さまは、1980年に、吉田茂元首相の孫娘で麻生太郎元首相の妹・信子さま と結婚し、寬仁親王家を創設されました。
はっきりご意見を言う方であった 寛仁さまは、皇籍離脱発言で物議を醸し、アルコール依存症で 信子さまに暴力を振るわれて、信子さまがそういった DVなどから逃れるために軽井沢の別荘に別居されていた などの報道もありました。
しかし、そもそも寛仁さまが 信子さまの皇族らしからぬ性格や言動に失望され、暴力やアルコールに走って しまわれたとの噂もあります。
娘の彬子さまと瑤子さまは、そう いった複雑な環境でお育ちになり、しかも信子さまの蝶は幼少期から 非常に厳しかったともいい、寛仁殿下は一時期、真剣に離婚をお考えになったそうですが、娘二人は父親の側につき、以後、娘と母は対立したまま 現在に至っています。
2012年に寛仁さまが お亡くなりになりますが、殿下の生前のお気持ちを踏まえて、 喪主は妻である信子さまではなく、長女の彬子さまが 務められました。
最近では幾分、母子のご関係は 一改善されているといいますが、百合子さまにとっては、 このようなご家族の問題は、ご高齢の身には たいへんなご負担でしょう。
一方、現在皇室で、ご家族の 問題に注目が集まっているのは、三笠宮家よりも秋篠宮 ご一家ではないでしょうか。
眞子さまのご結婚がお相手の 小室圭さんの家族が抱える金銭問題により延期となり、さらに小室 家のさまざまな問題が明らかになって、国民の秋篠宮家に対する 不信は日に日に高まっています。
秋篠宮ご夫妻の亀裂が囁かれ、 眞子さま・佳子さまとの親子関係もギクシャクし、秋篠宮家の内部には 穏やかではない風が吹いています。
さらにこの問題は、 家族間の問題にとどまらず、皇室全体の皇位継承問題にも影響を 及ぼしており、眞子さまのご結婚には国民が納める税金の問題も 関係してきますので、日本全体を巻き込んだ 騒動に発展しています。
秋篠宮家と三笠宮家とは、 皇嗣家と宮家とお立場が違います。
秋篠宮さまや 悠仁さまが即位されれば、ご一家は日本と皇室を代表する 天皇家となりますから、国民からの支持が 何よりも必要なのです。