なぜ美智子さまはここまで周囲から邪険にされていたのであろうか? 皇室に詳しい人ならば「美智子さまは、皇太子妃として初めて平民出身であったから、良子皇后から嫌われたのだ」と答えるかもしれない。たしかに本記事冒頭であげた常磐会の重鎮Nさんと同様に、美智子さまの出生について良子皇后が怪しまれていたことは夙に知られる。『入江相政日記』(昭和天皇の侍従長の私的日記、朝日新聞社より刊)にも次のように残されている。
東宮様(現、上皇陛下)のご縁談について平民からとは怪しからんというようなことで皇后さまが勢津君様(秩父宮妃勢津子)と喜久君様(高松宮妃喜久子)を招んでお訴えになった由。この夏御殿場でも勢津、喜久に松平信子(勢津子の母)という顔ぶれで田島さん(道治・前宮内庁長官)に同じ趣旨のことをいわれた由。また後年、美智子さまも入江侍従長に次のように尋ねたと残っている。

美智子妃殿下に拝謁。終りに皇后さまは一体どうお考えか、平民出身として以外に自分に何かお気に入らないことがあるのか等、おたずね。『入江相政日記』1967(昭和42)年11月13日

はたして良子皇后は、(時代が時代であるとはいえ)「平民の出」ということだけで美智子さまを邪険にし続けたのであろうか? おそらくそうではない。この『入江相政日記』を読み込むと、良子皇后は、美智子さまの「目立ちたがり」なところを嫌っておられたようだ。たとえば、1959(昭和34)年3月12日の個所には、御婚儀の馬車について良子皇后のときは馬4頭だったのに、美智子さまのときには馬6頭にすることに、良子皇后は不満を表明されたと記録されている。

では、このニュースを見た人々のコメントを見ていきましょう。

「上皇后は雅子さまを馬車に乗せたくなくて、雅子さまが馬アレルギーというデマを流した」という噂に、最初は「えー?そんなくだらない理由で?」と信じられなかった。
ところが「雅子さまは結婚前から馬アレルギー」の報道と、それに対する反証写真で、噂は本当だったのかと愕然とした。
皿も秋もやりすぎて墓穴を掘る。

見て子は、自分の結婚式では、馬の頭数を先代より増やし、4頭立てを6頭にすることに拘り、雅子さまの時には、自分の先例に従って6頭にさせてなるものか、と逆に0頭に、つまり馬車でなくリムジンで代用させろとなった経緯がこれでよくわかりました。
本当に見て子による陰湿で、嫉妬深い雅子さまイジメです。
見て子の人格を自分自身で貶める愚行としかいえませんね。

この税金をジャブジャブと費消する体制は、紀子も真似はじめ、いまや眞子への裏送金に、悠仁の裏口入学のための賄賂寄附や大学関係者への金をふくめ、国民の逆鱗に触れる違法行為を悪いとすら思わず、日常的に実行していて、両陛下との余りのコンプライアンス意識の差に開いた口が塞がりません。平成四人組は、歴史家によって断罪される運命です。

ミテコは婚礼のパレードで自分が目立つように、馬車の座席をチャブよりも高くしたそうですね。
すべては皇太子の自覚が皆無なドスケベチャブが悪かったのですが、こんなウスラ馬鹿に嫁ぎたいお姫様はいらっしゃったのだろうか?
ミテコは出自の悪さだけでなく、人格・品格・思想・行動の全てにおいて皇族方に嫌われていたのでしょう。
国会では問題視されていたものの、皇族の件は正確に伝えられない時代だったのでしょうね。
令和の今だったらOKなので、オープンにしましょ。
ミテコが大好きな「開かれた皇室」なんでしょ?

NHKもたびたび当時の婚礼パレードの白黒映像を流しているが、ミテコに反対する人々が煙幕を焚いたり、少年が馬車に投石した事件は殆ど報じない。

その投石を避けようと体を馬車内にスルリと滑り込ませるミテコの察知能力の早さにタダならぬ生命力とズル賢さを感じた。
もし、本物の深窓のご令嬢が皇太子妃だったなら避けることなど不可能だったろう。

By TAKERU

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