ラジオ日本

秋篠宮家の長男、悠仁さまのコンクールで入賞した作文が参考文献の引用が不十分と指摘されていた問題で、悠仁さまが参考文献などを追記して提出し直した作文が主催者側のホームページに掲載されたことが分かりました。

北九州市が主催する「第12回子どもノンフィクション文学賞」で去年、佳作に選ばれた悠仁さまの作文は今年2月、別の著作物と似た記述があり参考文献の引用の記述が不十分という指摘を受けました。

これを受け宮内庁は、4月8日に必要な文献などを追記した作文を悠仁さまが主催者に出し直していたことを明らかにしていました。

主催者側によりますと、4月12日に文学賞のホームページに提出し直された悠仁さまの作文を掲載したということで、作文には新たに2か所の「注釈」がつけられ、その注釈の「参照文献」が2種類、さらに「参考にした資料」として5つの資料が掲載されています。

悠仁さまの作文は小学5年生の夏休みに小笠原諸島を旅行した思い出などを書いたものですが、これまでの作文には「参考文献」が一つしか記述されていませんでした。

主催者側は「出し直された作文について入選をどうするかも含めて選考委員と協議し、参考文献の記載漏れとして対応した」としています。

P84に引用元を追加している。

文学賞の応募要項に書かれてある

「他人の文章を勝手に使ってはいけません」

「応募したあとの訂正は受けつけません」

という規定を主催者は覆したということです。

秋篠宮夫妻は、将来息子を天皇にしたいのであれば、謝罪し、受賞を辞退することで収束を測るべきだが、それをしたら筑波附属高悠仁さまのためにつくられた推薦制度の条件に合わなくなるのかもしれません。だから、絶対に辞退できない。そもそも、紀子さんというひとは思いがけず天皇家となる立場となったことで思い上がり、謝罪する、過ちを認める、を、出来なくなったのかもしれません。悠仁さんはすでに入学しているのだから、今更入学取り消しにはならないだろうから、辞退した方がいいと思いますがね。

秋篠宮家ばかりが批判されていると思ってる人がいるようですが、自ら炎上の燃料を次々投下するのですから仕方がないですね。

伊勢まで車で移動して頑張っているのに、批判されて、天皇家は近場の公務しかしない。愛子さまはリモートで大学に出て行かない。

などを批判しているひともいますが、天皇家は元からそういう人たちであって、今更・・という思いですし、大正天皇はお体が弱くて、学校に通わず、家庭教師によって教育をうけたので、愛子さまが御所にこもっていても誰も困りません。

盗作って書かれていますよ。イギリス王室の方も、日本の次世代の天皇は盗作をする人なのか、と思ったでしょうね。すまし顔の紀子さん、いいのですか?恥ずかしくないのですか?

.

.

では、このニュースを見た人々の反応を見ていきましょう。

仮に厳戒態勢が解除されようが、もっとバレないように工夫されようが、根本的にあんな入学の仕方では苦労して入学した連中からは好印象もたれること絶対にないよね。さらに、不正作文事件も本来許されていないはずの再提出で何事もなかったかのようにやり過ごすところを見せつけられれば、立場と権力の違いに警戒心をもたれるでしょう。ちょっと警戒心があれば、すでに見せつけられた厳戒態勢で関わるのメンドクサイって感じているでしょう。気に入らないって思われたり、喧嘩になったらどうなるかわかったもんじゃないんだから。必然的に輪に入れなくてかわいそ~って話しかけようってのも出にくくなるでしょう。真っ当な友達を求めるのは入学前からの行動で厳しいんじゃないかな。

道で声をかけられないという雰囲気を作って仕舞えば、たとえ教室内でも声をかけにくいのでは。校内で喧嘩をしても警備しないとは言え、物々しい警備を見て、気軽に声をかけたり、ましてや喧嘩をしたりなどできようはずもない。そのくらいわかっている賢い生徒たちだろうから、多分遠巻きにして我関せずを押し通すだけだろうなと容易に想像できてしまう。ただ気になるのは、同級生と一緒のクラスなのか、授業をどの程度理解しているのだろうかということ。もし理解できない授業なら、大変辛いことだろうなと、老婆心が起きてしまう。

親の教育方針にはかなり疑問があるけれど、子どもは何も悪くない。せっかく入学した高校なのだから、楽しく充実した学校生活を送って欲しい。クラスメイトが話しかけにくいようなギスギスした雰囲気になってしまっているのはただただかわいそうに思う。
誤解のないように再度言うけど、親の教育方針には疑問が残る。将来の天皇陛下(かもしれない方)がなぜ一般市民と争ってまで「進学校→東大」を目指さなきゃいけないんだろう。過酷な受験戦争の渦中に身を置くよりも、校風の良い学校に進まれて、良いお友達に囲まれて、好きなことをじっくりやる方が、「王子様」の教育には良いんじゃないかなあ。私が庶民だからそう思うのかな。

どういう立場かがもうわかる年頃の子供たちの前に初めましてと現れられても、どう関わっていいものか困るだろう。だから、何様なのか自分も周りの子供もよくわからない幼少期からあまり変わらない人付き合いが出来る附属に入れることのほうか本人にも周囲のためにもなるわけで。俄にものものしく警備も教員の態度も変わってしまい本当に迷惑な話だろうなと想像する。

開成と筑附のどちらがいいか相談された場合には、筑附は楽しいみたいですよと答えていたが、今年からそう言えなくなった。実際に両方に合格した生徒は開成に進学するケースが多い。あと2年はそうした状況が続くので、筑附にとってはわずかばかりの停滞期を迎えることになるかもしれない。もちろん今だけのことではあるが。

これだけ厳戒態勢ですと、毎朝、通学時間帯は、大塚署の警察官の大半が警備に駆り出されるのでしょうね。大塚署管轄に居住する都民は、これから3年間、毎朝の通学時間帯に何かの犯罪や事件に巻き込まれても警察は対応してくれないでしょうね。人員が別の方の警備で精一杯でしょうから。下手すると、通学時間帯の大塚署の代表電話は、「話し中」か「しばらく経ってからお掛け直しください」のような対応になるかも知れません。

どのタイミングで、また、どんな内容を話しかければいいのか。
クラスの中だって、どんな会話すればいいのかわからないと思う。心配なのは、警備のせいでクラスメイトが委縮して、授業中に自身の意見を控えたりすることが頻発しないか。特に、多感なこの年齢は、思想信条、政治だったり、異性について会話したりするアオハルがあるのでは。チャーチルさんが言ってるけど、この年代は本来体制批判に向かう年頃。そういった、言論統制的な、他のクラスメイトの言質まで警備してはいないですよね。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

By TAKERU

Leave a Reply